また、明日。

マイペースにやってます。

最近。

忙しい。

 

本業がちょっととんでもないことになっていて、仕事がはるか上の方から降ってきたり、遠く離れた横の方からのヘルプ要請があったりしてほんとにとんでもない。挙句の果てに「キミは給料高いんだから」とか言われる。高いのは経験と知識、スキル、そして実績積んできたから高くなったのであって、そもそも責任の範囲外の仕事やるのはまた別の話では…と思うも、3年〜5年で任期を終えて入れ替わる人たちに私が何をどう評価されてきたかなんてわかるわけない。

 

はー、悲しき現地採用。

 

なんのためにタイに来たかといえば、ムエタイ見たり、好きなことをして楽しく暮らしつつ、欧州で働く機会を作るためだった。それがなんの因果か超ド級の日系ドメスティック企業に入ってしまい、子供を産んで一馬力で育てることになってしまい、大幅に人生設計が狂った。そのこと自体はあまり気にしてないからいいのだけど、今のままの仕事のやり方では全くもって困る。

 

のんびりすることができないのは持病持ちには非情だ。子育てに向き合えないのは片親家庭にとっては死活問題だ。子どもが何を考え、何が好きで、何をしてあげると喜ぶのかがよくわからなくなる。まだまだ小さいから親が見て聞いて話してやらないといけないことがたくさんある。そこができないのがジレンマだ。

 

昨年、ある人に「なんで働いてるのか?」と聞かれた。そんなものは決まってる。お金で余裕を買いたいからだ。お金で解決できることは実は多い。家事の外注や最新家電はその最たるものだ。

 

では、そのできた余裕で何をしたいのか?

 

自分と子供に手をかけたい。本を読んだり、友達と交流したり、子どもと遊んだり、子供の話を聞いたり、心の余裕を持って人と自分に向き合い、自分に自信の持てる暮らしをしたい。

 

とりあえず、今降ってきてる仕事をどうやってこなして行くか考えねば。ボーナスを励みに少し我慢。

anngleさんのコラム第42回 『タイにあるちょっと変わった多言語対応サービス』

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ある時から目につくようになったこの機械。思わぬマーケットに向けたものでした。

 

出稼ぎ大国タイランド。出ていくばかりではなく、受け入れる側として、そしてメコン地域のリーダーとしてこんなところでもその力を見せてくれてます。

 

それにしてもこの発想は日本にはないよなぁ。地続きとか仏教国とか色んな理由はあるだろうけど、移民や出稼ぎ労働者をつなぎとめ、労働力として活かすにはこういうインフラサービスは欠かせないよなぁ…と外国人労働者である私も思うのでした。

 

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anngelさんのコラム 第41回『タイOLの整形事情』

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ゲスい話ですみません。でもね、タイでは美を追求したいと思うのは夜のお姉さんやニューハーフの人ばかりじゃないんですよ、ということを言いたかったのです。いつも前向きで笑顔を絶やさないように見えますが、多くの人がコンプレックスを持ってるし、美への執着が強かったり、いろいろなんです。

 

キレイになって、新しい恋を叶えたり、自信をもって暮らしてる姿はすごく素敵だし、幸せになれてよかったなーと思います。

 

そんな応援の気持ちも込めて。

 

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anngleさんのコラム 第40 回 『タイ女性のヘアスタイルが変わってきた!』

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私の職場は全社員のうち女性が6割くらいかな?なんですが、総じておっとりした人が多く、最新の流行を追いかけている人や、ばっちりパッキリメイクの女性は少ないんですね。

 

それがこの数年は髪色でアレンジしている子が増え、お化粧は韓国風のメイクをしてる人や、ファストファッションブランドの服でコンサバな装いの人がでてきたりして、現金を手にしはじめたタイ社会で、レジャーやオシャレにお金が落とせる時代になったんだなーと感じています。

 

私達からすると「は?デジパーとか何年前の話よ?」という気持ちになるのも事実ですが、段々と技術や情報が追いついてきていると思うと、5年後はどうなるのかな?追い越されるんじゃ、という気にもなります。

 

なんにせよ、オシャレに勤しんでいる女性はかわいいなーと思いながら目を細めてみています。いやー、みんなほんとかわいい。

 

 

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映画 『この世界の片隅に』

ようやく見れました。

開始直後ののんさんの声を聞いただけで涙がポロポロと。日常の小さな幸せ、日常生活こそが奇跡だというそのことをギュッと煮詰めたような透明感のある声で、柔らかい言葉の吐き出しに心を鷲掴みにされました。

 


映画『この世界の片隅に』予告編

 

あちこちのインタビューで見かけた街の再現性の高さ。私は当時の広島の姿を知りませんが、あそこに住んでいた人たちが嬉しそうに話をしていた番組を見ていたので、原爆投下前にひとりひとりの生活があったということが、生々しく伝わります。小さな小さなディテールに宿るリアリティ。その丁寧な仕事ぶりには頭が下がる思いです。

 

さて、この映画には小さな出来事がたくさん詰まっています。食べられる野草のこと、小さな畑のこと、遠くに見える海のきらめきのこと、かまどの火加減のこと、お裁縫のこと、望まれて嫁ぐこと、誰かに想われること、人が傷つくこと、家が焼けること、そして人が死ぬこと。最大の事件は空襲(と人が死ぬこと)と原爆ですが、それすらも日常に溶け込む出来事のひとつであり、日常生活が奇跡であることの演出にしか見えません。ひとつの流れの中で起きた、一つの出来事にすぎないのです。

 

後半、すずさんは「ぼんやりしたまま死にたかった」と言いました。喜びを奪われ、なにもしらずにぼんやりしたままの自分を喪い、日常をつつがなく送るようにみえた彼女は本当は途方にくれていたはずです。でも、日常は待ってくれない。個人の人生における大きな事件であり、日常の軌跡を根底から揺るがすものだったでしょう。しかし誰かの人生における大事件でも、世の中を揺さぶることはほとんどありません。大きな世界の中の小さな私たちに起きる出来事はそんな瑣末なものなのです。

 

そしてその出来事をくぐり抜けたすずさんは、それまで以上に日常を力強くつむいでいきます。そこには強い決意や奇跡はないけれど、淡々と、でも確実に意思を持つすずさんがいて、彼女の人生を少しずつ塗り替えていきます。これこそが「奇跡」なのかもしれない。そして旦那さんがいつ、どこで、すずさんを見初めたのかという夢のような話が、ぼんやり夢見心地な彼女のなかでひとつの事実として認識され、世界を見つめる目が大きく変わります。

 

私達はまだまだ生きていける。なにがあっても、絶望がそこにあったとしても、生きている限りは前を向いて、目の前の日常を積み上げていく。それが美しく、尊く、力強く、些細なものでも大事であることを、この映画は伝えてくれました。

 

最初から最後まで泣きっぱなしで、感情の波はすごかったですが、映画そのものは静かで、淡々としています。アニメでしか表現できない、おっとりした・ゆったりした時間とお話でした。また、すずさんに会いたいです。

anngleさんのコラム 第39回『タイから見る日本のあれこれ』

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毎年2回くらいは帰省しているのですが、今回はどういうわけかタイとの違い(多くは不便)が目につくことがおおかったのでまとめてみました。

 

この他にも

  • Free WiFiがない
  • 英語以外の記載がある看板が東京近郊にも増えた(福岡あたりには20年以上前から韓国語・中国語の表記がある)
  • 新幹線の自由席(1両目)の大半が外国人観光客
  • 新幹線の座席が向かい合わせにできる案内がどこにもない
  • エスカレーターの設置されていない駅がいまだに多い

なーんてことに目がいきました。

ドメスティックじゃぱん、ちょっとだけ視点を変えると見えてくるものがあると思うんですけどね。私はすっかりバンコクの便利生活に慣れてしまったようです。

 

anngle.o