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また、明日。

マイペースにやってます。

中年の好奇心よ、お疲れ様。

先日、久しぶりに同年代の友人を含む数名で食事をしました。

 

すでに付き合いは5年を越え、SNSやLINEでしょっちゅうやり取りをしている人たちなので近況はなんとなく知っていたため、趣味の話が中心となりました。そして突然にそれは訪れました。

 

 

何を話しているのかさっぱりわからない。

 

 

かなり多趣味な人たちなので最初はすごいなー、そんなによくぽんぽんとでてくるなーと思っていたのですが、だんだんと興味をそそられないことに気づきます。そしてぼんやりし始めたあたりで「まずい」と焦りが生じてきました。それは「友達との会話についていけない」ことではなく、「知らないことに興味がそそられない自分」への焦りです。「えー、それ何?」の一言が言えない。「それってどんな話?」の一言が出てこない。

 

そんな焦る私のことを友人たちは特に気にもとめず、むしろ「ごめんね、分かんない話ばかりして」と気遣ってくれました。いやいやいや、いいの!趣味のあう人同士で会話するのは正しいことだし、入れないでぼんやりしてる私がいけないんだから。

 

しかし、そんな主張もせず、「ううん」と軽く首をふるだけでぼんやりメニューなぞながめていました。

 

そのときに私の脳内にあったのは歌舞伎のこと。「あー、歌舞伎の話したいなぁ。誰か歌舞伎の話が出来る人いないかなぁ」でした。自分でも「なぜ、今、歌舞伎…」と思いましたが、目のあたりにしている友人たちの熱意が、たぶん今自分の中にある歌舞伎への熱意に近い性質のものだったのでしょう。

 

 目の前で熱意を持って語られることにのれなくなったのは自分の老いからくる「無差別な好奇心」の消失でしょうか。自分の殻に閉じこもる生活がもたらした弊害、ともいえるでしょう。その一方で、自分の殻に閉じこもって自分の好きなことだけを突き詰めた結果、歌舞伎鑑賞という趣味が思っていた以上に熱意あるものに育ちつつあることに気づいたわけです。そんなに私、自分が歌舞伎好きだって自覚なかったよ。。。

 

全てのことに興味を示して首やら足やら手やら頭を突っ込んでいては、たぶん時間と体力が足りなくなってきている。だから好きなものだけをつまみたい。そして場合によっては突き詰めたい。どうやら中年がかけられる労力は限られている、ということに気づいた瞬間でした。

 

 だからって友達との会話に参加したくないわけではないんだけどね。