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また、明日。

マイペースにやってます。

MORRISSEY in TOKYO (2016.09.29)

モリッシーみたさに渋谷オーチャードホール2日目(9/29)に参戦してきました。モリッシー見ないと死ねない!と思っていたので、ようやく心置きなく死ねる…!って、まだ死にませんけど。

 

あれは今をさかのぼること20数年前。当時、CD屋でバイトしていたのですが、店長がThe Smithsモリッシーファンでした。その頃の私はThe Smithsのよさをちっとも理解しておらず、モリッシーについても「ナルシストのおじさん」くらいの認識しか持っていませんでした(今思うとバチあたりな…)。ちょうど【The World Of Morrissey】が発売された頃でしたので、店長がお店でよくかけていたのです。しかしさほど興味もそそられずにいましたが、ある日”Moon River”がフッと耳に入ってきました。この曲はヘップバーンが映画の中で歌っていたので知っていましたが、初めて異なる音として聞こえてきたのです。

 

World of Morrissey

World of Morrissey

 

 

モリッシーってこの歌をこんなにやさしくうたうんだ」

 

そう思ったら、もっと聞きたくなり、このアルバムを自分でも購入し(でも恥ずかしいから別のCD屋で買った)何度も何度も聞き込みました。 その後、友人がThe Smithsのベスト盤をカセット(!)にダビングしてくれて、”Please, Please, Please, Let Me Get What I Want"の歌詞と美しいメロディによってThe Smithsのよさに開眼します。

 

youtu.be

 

ですが、当時はBrit Pop全盛期で他に好きなバンドがたくさんありましたので、特にライブに行きたいというほどのこともなくすごしてきました。今思えばバカだった…。

 

その後、2005年に発売されたこのアルバムを聴き、雷にうたれたようになります。

Live at Earl's Court

Live at Earl's Court

 

 

これは、それまでに聞いたことがないほどにクオリティの高いとんでもないライブアルバムでした。生歌のパワー、バンドとしてのまとまり、そして楽曲のすばらしさがフルに堪能できます。私はもともと歌声に惚れるタイプなのですが、モリッシーのライブでの歌声は骨太でありつつもロマンチックで、表現力や声質のよさが際立っています。【The World Of Morrissey】でもライブ曲がありましたが、その頃と比べたら表現力や声質の強さは格段に上。更に彼の発音(発声)は意外と癖がなくて美しい。モリッシーを誰かに勧めるならこれ!と思うほどに最上級のアルバムだと思っています。このアルバム以降、「モリッシーを見ないと死ねない」というほど恋焦がれることになります。

 

2012年のジャパンツアーは、きっと東南アジアにも来るだろう・バンコクにも来るだろうと思っているうちに見逃してしまいました…。シンガポールインドネシアまで行く度胸もなかったんです。今思うと「その程度」の切実感だったのかもしれません。

 

その後、体調不良のニュースやレコード会社とのゴタゴタが聞こえてきて、ロンドンまで行くか!と思って機会をうかがっていたところに今回の日本ツアー発表となりました。モリッシーの体調不良などもあるし、「これはラストチャンスかもしれない」と思ったこと、東京公演の会場がオーチャードホールという「歌」を聴くのにちょうどいい場所だったこともあり、参戦を決意したのでした。

 

で、29日の公演を見た感想ですが(ここまで長い前置き)

 

The Smiths時代から心に茨を抱えた元・少年たちであろう人たちが集まり、会場はまるで厳かな聖堂のようでした。いや、女性もいるんですけど、圧倒的に男性の存在感が大きいんですよね。ホモソ空間だなーと思ったのも事実。しかしライブが始まったとたん、そんな狭い気持ちは吹っ飛びました。”LET ME KISS YOU”で不器用な私たちを抱擁し、続く”EVERYDAY LIKE SUNDAY”でつまらない日常を呪い、厳かな聖堂のようだったホールをモリッシーのいる「場所」に引きずり込んで抱擁しつづけます。一方的な崇拝よりも抱擁、相互コミュニケーション。

 

序盤4曲の流れは完璧と言う他なく、感動の渦にオーディエンスを巻き込み、私たちはイコンとして恋焦がれたモリッシーの肉体性をいやというほどに味わうことになりました。中盤に向かってはひたすらロマンチックな歌を、圧倒的な表現力で私たちに届けてくれました。それはまるでモリッシーからのラブレター、愛情いっぱいの美しいひとときでした。後半に向かってはバンドを交えたさまざまな仕掛けと美しい旋律、ちょっとお茶目なモリッシーを見せられ、こちらの恋心をくすぐります。そしてアンコールでのラモーンズのカバー。歳をとってもパンクを歌えること・年齢によるリミットのばかばかしさを体現します。

 

開始前は崇拝し、恋焦がれていたあの人が、ひとりの人間であり私たちと同じ人間であることを見せつけ、不器用で冴えない私たちの存在を許容し、すべての差別への警鐘を鳴らします。そしてそんな差別することも、差別されることもあるいびつな私たちを大好きだよ、と愛情をもってみつめてくれたのです。

 

あんなに筋肉質な歌声は後にも先にも私は知りません。オーチャードホールという、クラシックの上演をするようなホールであったからこそ、歌声が増幅して響いたということはあるでしょうけれども、そんなホールの特性に負けることなくどこまでも響き渡る声は非常に肉体的で、筋肉質で、まるで波となって目に見えるようでした。

 

見ることができてよかった。あそこにいられてよかった。不器用で不恰好でこじらせまくった私でもモリッシーを好きでよくて、生きてていいんだ、と知ることができました。 

www.setlist.fm

 

ありがとう、モリッシー。また逢う日まで。