また、明日。

マイペースにやってます。

じゃっじめんたる のーさんきゅー

誰かのことを裁くように語ることはありませんか?

 

「あの人はこうだからどうかとおもうよね」

「あの人のこういう言動が自分には信じられない」

「そう思うならこうすればいいのに」

 

うん、全て正しい。正論。

あなたの物差しで図るなら。

 

私の中にもそういう気持ちがないとは言わないけれど、できるだけ口には出さないように心がけている。自分の中に物差しがあることはとても大事だけど、できればそれは自分のために使いたい。他の人に自分の物差しを当てて「自分が正しいと思う言葉」で裁き続けていたら、その言葉がいつか跳ね返ってきたときに呪いとなって縛られる、と思うから。

 

裁くというのは、思考停止と同じだと思う。あることや人に白黒つけて要不要の箱に仕分けをして蓋をしてしまうのは”心穏やかに暮らすため”のテクニックかもしれない。けれど、その判断がいつかブレる日は来る。なぜなら人間は変わるから。自分も変わる可能性があるから。それならば、できるだけ判断はオープンにしておきたい。

 

どうせなら、誰かを裁くよりは誰かに寄り添う人でありたいと思う。誰かの言葉や行動を裁くよりも、どうしてそうなったのかを考える方に目を向けたい。たとえ堂々巡りで結論がでないものだとしても、誰かを断罪して呪いをかけるよりはマシだと思う。自分の可能性も、誰かの可能性も、潰しかねないことはとても怖い。

 

自分と周囲に呪いをかけ続けるようなことになりませんように。

今日も自分を戒める。