また、明日。

マイペースにやってます。

私の体は私のものであり、私の人生は私のものだ

これ、ほんっと腹立つというか、どうでもよかろうよ!と思ったニュース。

 

www.huffingtonpost.jp

 

いや、どうでもよくはないんだけど。

 

フェミニストだとかそうじゃないとか、なんでそんなにラベリングしたがるんだろうか。じゃあ、いつもいつも胸を隠して、腕も出さずにいればフェミニストを名乗っていいのだろうか。そもそもセクシュアルかどうかは国や文化や時代によっても異なるわけで、それを「自らの意思で」「納得した上で」「選択できること」が大事なんじゃないのか?

 

 19世紀イギリスなら足出してただけでアウトだ。当時のイギリスは椅子の足すらカバーする時代だった。「足」って単語すら言えなかった。現代タイにおいてはノースリーブはセクシーすぎるからオフィスではNGって価値観があるし(それすら社会階層や会社の規模等によっても異なる)、マレーシアに行けばまた違う。セクシーかどうかなんてそれだけ時と場所によって揺らぐ価値観なんだから、それを自分で選択して表現する自由を持つことのほうが大事だと思う。

 

エマはなんらかの理由でこのグラビアにOKを出した。彼女は自分のことを自分で決めたい、決めるべく自分の権利を主張しているだけ。彼女がこのグラビアでトップレスになったのは、そのときにトップレスになるという「選択」をしただけだ。それが「フェミニズム」というならばそうなんだろうし、それが別の名前で呼ばれるならそれでいいじゃないか。大事なのはラベルじゃない、彼女が自分で「選択した」ことだと思う。

 

これが男性俳優だったらどうか?例えば、キアヌ・リーブスなら?彼がトップレスで雑誌に載っていたら誰かが何かを言っただろうか。キアヌはセクシュアリティについてリベラルな考えの持ち主(と思われる)で、自身のセクシュアリティへの噂を引き合いに出してLGBTを擁護したこともある。多少、揶揄されることはあるかもしれないけれど、トップレスになったことを「LGBT擁護しておいて!」と非難されることはないだろう。

 

エマの体は彼女のものなので、彼女が納得してトップレスになるならいいじゃないか。今後、ベッドシーンとかあってもいいじゃないか。彼女が彼女の身体と人生をどう使おうが、それは彼女個人の自由であり、彼女に限らず女性全体の自由であってもいい、と声をあげてもいいじゃないか。

 

ここまで書いてエマの反論が出てきてる。かなり感情的にみえる。彼女にとってはこの論争がすごく馬鹿げていて、意図したことが伝わっていなくてがっかりしたんだろうな。 

 

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↓これ読んでて、マドンナがゴルチェデザインのビスチェを着て訴えてきたことは、2017年までなにも変えてこなかったのか?と失望している。

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