また、明日。

マイペースにやってます。

円形脱毛症だった私

先日、「全頭脱毛症」という病気のことを知り、そのときに自分が円形脱毛症を患っていたことを思い出した。そんなこと、すっかり忘れていた。

 

あれは小学校3年生の頃だったと思う。

 

今考えれば「そりゃ脱毛症にもなるわ」と思うような人間関係やら担任からの嫌がらせで相当ストレスがあったのだと思う。「自覚がないから体に症状がでる」とは、自律神経失調症になったときに看護師の友人が言った言葉だけれど、きっとあの時の私は子供ながらにキャパオーバーだったのだろう。でも当時は「気づいたらハゲがあった」程度にしか思っていなかった。自分ではその大きさを確認することもできなかったし、なんせ見えないのでまるで他人事だった。

 

母が見つけて通院を決めたのであろう。2週間に1回くらいの頻度で皮膚科に行き、遠赤外線のライトを20分ほどあてていたと記憶している(母は紫外線だと言ってたけど、子供にそれはなかろう…)。毎回、皮膚科に行くと『うしおととら』が読めるので、結構楽しく通っていた。それよりも弟の水イボ治療のほうが大変で、「かわいそうに、私はライトに当たってるだけでよかった」くらいにしか思っていなかった。

 

何度か通ったあと、医師に「脱毛部分が増えてる」と言われた。最初は1か所か2か所、5円玉程度の小さい脱毛だったのが増えたらしい。ちょっとだけ「あー、まだ治療は終わらないんだ」と失望した。でも痛いわけでもないし、弟よりはマシと思い、『うしおととら』を読み終わったので『コータローまかり通る』を楽しみに通院を続けた。

  

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しかし母は一体どんな気持ちだったのだろうか。

 

9歳の娘の頭にハゲがあることに気づいた日、母はどう思ったんだろうか。10円玉程度のものが多いときは4個くらいあったようなので、相当驚いたはずだ。でも母は何も言わなかった。私の目の前でそれを嘆いたり泣いたりもしなかった。むしろ弟の水イボ治療のほうに心を痛めていた節もある。弟はまだ小学校1年生で、体も小さかったのだから当然だろう。私はそれについてなんの恨みもないし、「弟かわいそう」の気もちが自分のことよりもずっと強かったので、母が「弟かわいそう」の言動をしていても「そうだね」としか思わなかった。ただ、娘にハゲができていることを喜ぶ母親もそうそういるまい。

 

私の息子に円形脱毛症がみつかったら、私はたぶんものすごく泣くと思う。どんなにつらかったんだろう、と学校や周囲のことだけでなく自分のことも責めるだろう。学校をやめさせて日本に帰ることも検討するかもしれない。治療にも通わせるし、できる範囲でだけども治療のためにお金も時間もかけるだろうと思う。

 

母は口には出さなかったけれども、そんな風に思っていたのだろうか。

今度会う時に聞いてみようかと思う。