お題 「何して遊んだ?」
今週のお題「何して遊んだ?」
あそび、と少し違うかもしれないけど。
小学校3-4年の頃、盛んにやっていたのが「たからものあつめ」だった。中身はたわいのないものばかりで、綺麗なリボンとか、お土産でもらったアクセサリーや星の砂なんかが入っていたことを覚えている。アクセサリーと言っても、貝でできたもので身に着けるにはちょっと…というものだった。でも「たからもの」だった。
私はそれらを大事に「白い恋人」の缶にいれていた。多分あれは54枚入りの缶だった。よく見ると今のものはディテールが変わっている。金具が金色で扇形をしているのは同じだけれど、蓋の部分は端にむかって傾斜がついていて、フチにリボンのような押し型がしてあって、裏底は金色で、中も金色の缶だった。
友達の家に行くときに箱ごと持って行き、お互いの宝物を見せ合ったり、時には交換したりプレゼントしたりした。誰でもいいわけじゃなくて、宝物を見せる相手なのでとても親しくて大好きなお友達としかこの遊びはしなかった。
でも、その子はいじめが原因で転校することになった。
追い詰めたのは私にも責任がある。
大好きなお友達だったのに、なんであんなことをしたのか。
その子が転校する少し前に最後の宝物交換をした。貝殻のネックレスをくれたのを覚えている。その日、悲しい気持ちとどうしてこうなったのかな、というぼんやりした気持ちのまま「ごめんね」と言ったら「ううん」と言ってくれた。
その言葉がずっと心に残ってる。
ごめんね。
じゃっじめんたる のーさんきゅー
誰かのことを裁くように語ることはありませんか?
「あの人はこうだからどうかとおもうよね」
「あの人のこういう言動が自分には信じられない」
「そう思うならこうすればいいのに」
うん、全て正しい。正論。
あなたの物差しで図るなら。
私の中にもそういう気持ちがないとは言わないけれど、できるだけ口には出さないように心がけている。自分の中に物差しがあることはとても大事だけど、できればそれは自分のために使いたい。他の人に自分の物差しを当てて「自分が正しいと思う言葉」で裁き続けていたら、その言葉がいつか跳ね返ってきたときに呪いとなって縛られる、と思うから。
裁くというのは、思考停止と同じだと思う。あることや人に白黒つけて要不要の箱に仕分けをして蓋をしてしまうのは”心穏やかに暮らすため”のテクニックかもしれない。けれど、その判断がいつかブレる日は来る。なぜなら人間は変わるから。自分も変わる可能性があるから。それならば、できるだけ判断はオープンにしておきたい。
どうせなら、誰かを裁くよりは誰かに寄り添う人でありたいと思う。誰かの言葉や行動を裁くよりも、どうしてそうなったのかを考える方に目を向けたい。たとえ堂々巡りで結論がでないものだとしても、誰かを断罪して呪いをかけるよりはマシだと思う。自分の可能性も、誰かの可能性も、潰しかねないことはとても怖い。
自分と周囲に呪いをかけ続けるようなことになりませんように。
今日も自分を戒める。
てまひまてまひま
まず、ひと呼吸おこう。
気持ちが焦ってるとき、空回りしてるときは脊髄反射しがち。一度、ギアを落として余裕をもたねば。何でもかんでもバッサバッサ斬り捨てるのがかっこいいわけではない。
こういうときは人付き合いや暮らしが雑になりがちだ。毎日、帰宅すると蚊取り線香をたくのだけれど、それすらパッと雑に火をつけてポンと雑に置いたらボーボー燃え盛ってびっくりすることになる(経験談)
「余裕がない」
結局はそういうことなんだろう。なんでもかんでもやっつけでは行き詰る。仕事がいい例だ。やっつけ仕事は大体どこかで帳尻あわせのための手間が生じる。たいてい、回収には3倍の手間がかかる。だからこそ、そんなときこそひと呼吸。
人付き合いだってそうだ。せわしないからと雑な受け答えをしていたら誤解を招くことになり、言い訳やらなにやらで3倍の手間ひまかけることになる。手間ひまかける必要のない関係なんてそもそもない。日頃から少しずつ少しずつメンテして、手間ひまかけるから付き合っていけるのだ。1度の雑な受け答えで壊す必要はない。
身体のメンテも同じだ。日々のケアを怠るとあっという間に衰える。かかとケアを見て御覧なさい。毎日少しずつケアしていればいいものを、放置しているからひび割れる。つるつるかかとを取り戻すには3倍以上の手間が必要だ。
って、何の話だっけ。
とにかく、脊髄反射で人付き合いしたり、仕事しては駄目だ。
自分に魔法をかける時間をつくるのだ。ホワイトウィッチだ。
生活に潤いを。
かかとにクリームを。
深呼吸して、さあ頑張ろう。
anngleさんの記事 第31回『バンコクにできたリトルチャイナタウン』
最新記事です。
この界隈、本当にあっというまにチャイナタウン色が強くなりました。元々1000バーツ前後の安いホテルがいくつかあったのですが、中国人団体旅行客が泊まるようになり、狭い道路が大型観光バスでふさがっていることも増えました。駅から少し離れたところには、団体旅行客向けの大型食事処があったりします。
ぶらぶらしてるだけでも中国人観光客のお土産トレンドが見られたりして楽しいのですが、最近気になるのは美容整形。鼻に大きなガーゼを貼ってるからわかるんですよねぇ。以前は「整形するなら顔は韓国、体はタイ」などと言われていたのですが(タイ人同僚が言ってた)最近は価格の安さからか旅行中に整形する人もいるようです。いや、整形目的で来るのかな…?
それにしてもなんで土産物屋で枕が人気なんだろうか。タイがゴムの産地だから?
誰もあなたの話など聴きたくないから
先日、岡映里さんがこんな記事をあげていました。
これを読んで思い出したことがあります。
私は社会人デビューが遅くて、なおかついわゆる「就職活動」を一切しないまま社会に出てしまいました。なんせ通常とは異なるルートで社会に出てしまったので、就職活動で学ぶような社会人としての心構えもなく、会社が小さくて(3人しかいなかった)新人研修をするようなノウハウもなく、お手本となるような先輩もおらず、学生気分が抜けないままでした。
若かったし、おじさんたちはそれはもうチヤホヤチヤホヤ可愛がってくれたのですが、中には私の浮ついたふるまいをみて社長に助言する方もいらっしゃったようで、あるとき社長が私にこういいました。
「誰もあなたの話なんて聴きたくないんだから、皆さんの話を聞きなさい」
それまでは留学経験があるとか、英語が話せるとか、まぁ今思ってもさほどのことはないんですが、当時の私は自分には「ちょっと他と違う価値」があると思っていて、私の話を聞いてほしい!という気持ちがすごく強かったように思います。「他と違う」の「他」は同世代の人たちと比べて、ということだったわけですが、浅はかで我が強く、若かった私はそれに気づいていませんでした。社会人全体からみたらあなたはミジンコだし、なによりも相手はずっと年上で、会社の社長さんやえらいさんという社会的に地位のある方々とお付き合いするのだから、「私が!」「私が!」は封印しろ、といわれたわけです。
社長のことはすごく尊敬していた&素直だった私は「そうか、確かに私みたいな社会人一年生は黙ってるべきだな」と思い、翌日からはあいづちマンとなりました。
おじさんたちは若いお嬢さんが「へぇ~」「すごーい」「わぁ~」って話を聞いてくれるのはうれしいものです。おじさんじゃなくたって悪い気はしません。中年になった今、年下の部下や同僚をもってそれがよくわかります。声にだして「へぇ」とか「わぁ」とか言ってもらえると、一生懸命こちらの話に耳を傾けてくれているように聞こえるので、無条件にうれしくなるものです。日本で社会人として生きていく上で、これはもっとも大事かつ味方をつくるのに有益な方法だと今でも思っています。
つい数日前、当時お世話になった「父とさほど年齢の変わらない方」からFBで友達申請いただきました。10年ほどご無沙汰していたのですが、今でも覚えていてくださっていて感謝の気持ちでいっぱいです。次回の帰国時にでも会いに行きたいと思っていますが、40を越えた中年ですけども、やっぱり私はあいづちマンとしておじさんの話を聞きたいと思うのでした。