また、明日。

マイペースにやってます。

吉村昭 『破船』

名前は知っていても読んだことのない作家、吉村昭さんの本を読みました。きっかけはなんだったかなぁ、新潮社のツイートにでてきたからだったかなぁ、誰かがTwitterで話してたからかなぁ。なんだかそんなような動機です。特に何かすごい出来事があったわけではなく、目に留まったから。

  

破船 (新潮文庫)

破船 (新潮文庫)

 

 

暗い。。。とにかく暗いお話。。。しかも救いがない。八方塞がりでどうにもならない。ひたすら貧しく、寒く、そして飢えに耐える人々の営み。お船様でいっときラクになるかと思いきや、その後の罪の意識や消えていく「富」への恐れがさらに暗さに追い打ちをかける。そしてつらく耐えてきた期間を抜けかけたときの突然の災難。リアリティに満ちた貧しい村の人々の生活描写(特に食事と衣服!)は読んでいて本当につらく、何かの片手間に読むようなこともできず、読了するまでにだいぶ時間がかかってしまいました。

 

この小説、心象風景が少ないんですよね。「◎◎は思った」くらいのことはあるのですが、そこから沸き上がってくるような独白や深い考察のような描写はない。1か所だけそれらしきものがあるのですが、そこ以外は空想したとか、心の中にこんな景色が、なんていう描写がほとんどない。どちらかというと動物的な反応が描かれることは多いのだけど、思考したり感情を考察するような描写がない。それはここに出てくる人たちが教育を受けていないから、ということに気づくのは後半にさしかかってからでした。

 

自分の感情を考察し、言語化するということは人間を人間たらしめている行為です。ですが、この本の中ではその手段を持たない人々の暮らしぶりが、非常に丁寧に描かれている。心の中でどのような葛藤を抱えているかということよりも、暮らしぶりだけがひたすらに描かれることで彼らの無知無学ぶりや感情を言語化する習慣がない、ということが浮き上がります。村での暮らしはよく言えばシンプルですが、悪く言えば動物的。そのわりに彼らを一歩前にすすませなかったのは、掟や集落の人たちの目、伝え聞いた隣村の豊かな生活という高度に文化的なものだったりして、そのアンバランスさには胃が痛くなるような思いがしました。だって、社会の目を気にしながら生きるのってしんどいのに、そこに疑問を持つ術を持たないなんて。

 

主人公も自分の気持ちを深く掘り下げて考えたり、言葉にして伝えることができなかった。好きな子への気持ちと肉欲が混同され、ひたすらに「あの子がほしい」という気持ちだけ。しかしそれすらも厳しい生活の中に埋もれていく。この人はどれほど我慢するのか…といいたくなるほどでしたが、食うに困る生活で恋愛のプライオリティが低いのもうなづける。それほどに生活描写が過酷であり、そして彼らは無学でした。

 

そんな状況から、どうやって自分の身を守るか。この本が提示してくるのはやはり学ぶこと、そして実践をすること。学ぶことで世界への道が拓ける。若い頃だけではなく、固定観念にとらわれない柔軟な思考と実行力を持ち続けるためには学ぶことって大事だと、それをグイグイと突き付けられた気がします。

 

もう一度読むかといわれると悩みますが、かなり重く、自分の中に長く残るであろう一冊です。