anngleさんのコラム 第29回 『お正月がまたやってきた(タイにおける春節)』
憂鬱をぶっとばせ
ずっとここのところ気持ちの整理がつかないことがあって、悶々としています。
きっかけは数ヶ月前、それまでになんとなく違和感を感じていたことが全部つながっているように感じることがありました。
そうなったのは自分のせいでもあるから仕方ないな、因果応報っていうしな、と
諦めるように自分に言い聞かせていたのだけれど、どうやっても腑に落ちない。
なぜこうなったのか。
なぜこのタイミングなのか。
なぜ私なのか。
ネガティブな気持ちって一度生まれると延々と再生産されるので
この思考のくせ(ループ)を打破するきっかけがあればいいのだけれど
今、人とあまり会わずにいるからなおさらだろうけど
悶々とし続けて自分で自分の首を絞めている。
誰かのせいにして気持ちを楽にしたかったんだけど
それで根本的なところが解決するわけでもないので
目にしたくないことはそっとしておいているのだけど。
でも、もう自分の中で切り替えるきっかけを探すことに集中します。
「いやだな」と思うことに向き合うことだけが正解じゃないから。
かといって逃げないよ、消化して前にすすまないとね。
とりあえず、そっと距離を置く。
反省するところはする。
明日の自分をイメージする。
明日は今日よりいい自分。
自分の人生を無駄にするのも、活かすのも自分次第。
今、ここにある時間も思考も全部自分のためにつかおう。
とりあえず、運動すっか。
杉坂圭介 『飛田で生きる』と『飛田の子』
先日の玉井次郎さんの本を読んだ後、関連書籍のところでamazonさんに紹介されたのでこちらを読んでみました。風俗業界男性経営者による裏話です。
私は関東の人なので飛田という遊郭の存在を知ったのはかなりあと、じつはここ数年のことです。後述する本にNHKで取り上げられた話が書いてありますが、たぶん私が飛田を知ったのはその番組だったと思います。一見、ふつうっぽい家並・街並みに突如あらわれる色街の姿に驚いたのを覚えています。
そこで経営者として10年暮らしていた杉坂さん。男性の欲望の最前線で女の子たちをいかに見つけ、働かせ、そして事業をまわしていたかをつぶさに語っています。この本の真偽は私にはわかりませんが、良いも悪いもない、必要としている男性と女性がいる、ということ、そして歴史を守って街を守る仕組みがあることがひしひしと伝わってきました。
杉坂さんは淡々と事実として飛田を必要とする女の子たちの姿を描いています。その視線は思いやり(っぽいもの)だったり、寄り添うような姿だったり、ときにがっかりするという人間らしい姿です。春を売る仕事というとお涙ちょうだいストーリーを期待する人が多いと思うのですが、もっとスコーンと突き抜けた明るさと人間らしさ、私達の日常と変わらない姿を感じます。飛田の仕事も、仕事ってことかな。
続いてこちらの本も読んでみました。
先に記載したNHKの番組について書かれているのはこちらの本のあとがき。飛田が置かれている状況を説明し、時代に寄り添う姿を模索していることを目的としてカメラを受け入れたということが中の人の視点でかかれています。
こちらの本の内容は、前作よりももう少し物語的というか、実際に働いていた女の子の姿をもとにして描いています。こっちのほうが飛田経営の覗き見趣味を満たしてくれるかも。どこまで本当の話かはさておき。
「女は体を売ればいいんだから楽だよな」って言う人もいるけれど、それを買う男性がいるという事実を忘れちゃいけない。そして経営する男性がいることも。当たり前といえば当たり前だけど、そんなことをバンコクの風俗街に近い場所に暮らしながら考えています。
玉井さんの本についての過去記事はこちら。
ご本人にコメントいただき、大変恐縮です。
そしていまさら気づいた…。玉井さんじゃなくて玉さんなんだ…。
そういうことか…(遅い)
ワーママのやりくり(時間割のお話)
私の朝は5時に始まり、22時に終わる。
その間、自分のための時間はほとんどない。
読書や勉強なんてほぼできない。
先日、FBで友人のワーママも悩んでいた。
すごくパワフルに仕事もしてる人なのだけど、それでも足りないという。
なので、私自身も一日の時間をどう使っているかちょっと書き出してみました。
かなり理想的かつ順調にスケジュールをこなせた場合。
宿題が1時間でおわることはないので、大体どこかを削ることになる。
朝と夜のごはんは一緒に食べたいし、寝る前のおしゃべりもしたい。
お風呂はまだ1人で入れないし、むしろ貴重なコミュニケーションタイム。
朝ドラは唯一の楽しみなので削れない、削りたくない。
睡眠時間を削れば勉強はできるけれど、体への負担は減らしたいし、
ちょっと無理をすれば翌日に響くから無理はできない。
子どもがいるおうちでお母さんのプライベートな時間ってどうやって捻出しているのだろう。日本だと家事育児がお母さんにのしかかる度合いも高い。家事の外注もあまりできないし、外食なんてもってのほか。どうしてるの、みなさん?
私はもうね、今夜は外で買って帰ります。
宿題にかかる時間が長すぎるんだ。
今日はもうHPも削られまくったので外のごはんだ。
外食文化・屋台文化万歳。
anngleさんのコラム 第28回『Bangkok Mini Maker Faireに行ってみた』
中年は走りまわる。
他人からの評価や値付けに振り回されるのがしんどいことは20代、30代で散々経験した。まだこれから先も多少なりともそんな値付けに悩まされるのだろう。
この値付けが「若さ」「未婚」「彼氏ナシ」「子ナシ」「仕事」などなど年齢+社会属性を基にしていることは多い。年齢なんてのはいつか誰でもじじいとばばあになるので気にしなければいいと思うのだが、社会属性は自ら選択して獲得することができる類のものであるために苦しめられる度合いが大きいのだろう。自分の選択が揺らぐということは、自分の価値が揺らぐことであり、自らを否定されることと等しい(気がする)から。
恋愛やおしゃれが若い人の特権のように言われ、長く続く老人の時間には恋愛もおしゃれもセックスも生殖も望めなくなる、と絶望するのは容易い。そして若さの価値が高いように言われる昨今だからこそ、自分が「恋愛市場」や「婚活市場」という「若さ」が高値取引される(と思われる)場所からこぼれ落ちるのではないか、「女の品評会」にあがれなくなるのではないかと心配する気持ちになる、のはわかる。
自分のうちなる「結婚願望」や「恋愛市場への参入希望」を足枷にしていては勿体無い。健康でお金に困っているわけでもなければ、漁場を変えて、恋愛市場や婚活市場に突き進んだらいいではないか。今は中年やシニア世代にもやさしい漁場はある。40男と20代の需給がマッチしてるとテレビや雑誌はいうけれど、そればっかりでもないのがこの広い世の中だ。需給がマッチする漁場へGO!声に出さなきゃ・行動に移さなきゃ漁場にたどりつけないYO!歩いてるだけで声かけてくれる時代は終わったんだから、自分で声を出して漁場へ行けばいい。
「年取って恋愛やら結婚やらなんてみっともない」というのはドラマの中だけに任せておけばいい。散々、私達を品評会にあげて値踏みしてきたのは世間であり、親世代であり、祖父母世代だ。私達は恋愛至上主義的な育てられ方をしてきたのだ。少女漫画雑誌を思い出せばわかる。「誰と誰がくっついた」「三角関係のなんたら」「王子様が迎えに来てくれる」なんていう話でてんこ盛り。おまけに広告は「願いがかなうラピスラズリ」「両思いになれるおまじない」。思春期の肌から吸収された恋愛情報は、骨の髄までしみこんでいる。今更急には止まれない。
おしゃれだって、ミニスカートは履けなくても40代・50代・60代・70代に似合うスタイルはあるはずだ。中年向けのおしゃれなファッション雑誌がないのなら、自分のスタイルを磨いて作り上げたらいい。PiterestでもInstagramでも活用して、セレブでもなんでもどんどん見習ったらいいんじゃないか。プレシャスなのは自分がこれまでに培った、そしてこれから磨き上げていくセンスでいいじゃないか。
ここで今までとは異なる挑戦を自分に課し、それを肥やしにできるかで次の40年はきっと変わってくる。それは仕事だって同じだ。そろそろ語れる仕事、自分が采配できる仕事があるはずで、そこで作り上げる信頼や実績が次の10年間を左右すると思う。50代なんて、会社人生においての締めくくりの時期。定年後の再雇用に向けて、シルバー人材の中でもピカピカ光れる存在になるために、これまでとはことなる種類の肥やしをせっせと畑に入れて育てればいい。
そんな風に思いながら中年は今日も走り回っている。