また、明日。

マイペースにやってます。

ガラスの壁をいつか破ろう

私、マドンナ信者なんですよ。10代の頃からずっと信奉していて、高校のときには文化祭で彼女のダンスを踊ったし、ダンスの授業もマドンナ様の曲をつかいましたし、マドンナ様がいたから私も仕事をして自立した女性になろうと思ったし、筋トレしてるときもマドンナ様のことを考えて「マドンナを見習って!女性でも自律して筋肉を勝ち得るの!」と念じながら頑張ってきたというほどに、私の血と肉はマドンナ様へのお布施そのものであるといってもいいくらい、好きなんです。

 

さて、そんなマドンナ様がこんなことをおっしゃっておりました。

toyokeizai.net

 

マドンナ様ほどのスーパースターでも加齢には抗えない。まぁ、それは私も思っていたし、それでも節制して自分を律して、仕事もバリバリしてすげえなって思ってました。レオタード履いてアクロバティックなパフォーマンスをし、息子と一緒にPVにでてはしゃぐ姐さんはそれでいいと思ってた。昔からそういう型破りなことをする人だったし、離婚して子育てしてるからって自分の手づくりメシを食べさせたり、洗濯したりしてるわけでもないし、浮世とは異なる世界でトップを走り続けているものだと当然のように思っていました。

 

でも、よく考えたら「当然」なわけはない。

 

『Confessions on the dance floor』発売時、レオタードを着用しているマドンナ様のあとをビヨンセがやはりレオタードで『Single Woman』を歌いながら猛追してきた。あのとき、マドンナはどう思っていたのだろうか。

 

 昔、マドンナはあるインタビューでこう語っていました。

 

「私より歌がうまい人はいる。私よりダンスがうまい人もいる」

 

ちょうどジャネット・ジャクソンがすごい人気だった頃の事なので、たぶんこれはジャネットを指してるんだろうなーと思っていましたが、今となっては歌がうまくて踊りもうまくて、おまけに若くて美しい子はたくさんいる。それでも彼女はキラキラした服を着て、ダンスミュージックをつくって歌う。20代と同じ土俵で、ビッチをきどって歌う。

 

若い頃は性の解放を、ある種の男性が好む「金髪・赤い口紅・大きくあいた胸元」を身にまとって闘ってきた。今はそれに加えて「年齢」を背負って戦う。私にはそんな彼女がすごくかっこよく見えるし、彼女がいるから私たちが仕事をしたり、好きな恰好をしたりしてもとがめられることなく(とがめられる地域もあるけど)生きていけるんだと思っているわけです。

 

と、ここまで書いたらジョージ・マイケルの訃報が!!!!この人もセクシュアリティの自由を闘ってきた人なんですよね。ワム!時代からソロの初期まではセックスシンボルとして世界中の女性のハートをメロメロにしてきました。それはそれはもう、腰をふったら女が倒れるっていうくらいみんなメロメロだった。それほどまでに女性が思う男性のセクシーさを備えていながらもゲイとして生きることを宣言し(その前からわかってたけどね)スキャンダルにまみれ、ドラッグにまみれながらも自身の道を貫いた。

 

 

このツイートに埋め込まれてる小生意気なマドンナがジョージに賞を手渡すシーン。当時、これをみて「ひゃー、やるなぁ、マドンナ!」と思っていたけれど(授賞式がテレビ中継されてるのに煙草を吸うなんて!とすごいバッシングされてた)今改めて見ると、この二人ってまるで対になってるかのように同じ土俵で戦ってた同志なんだなぁ…と泣けてきた。

 

マドンナのこと書いてたのに、なんかジョージ追悼記事になってしまった。