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また、明日。

マイペースにやってます。

吉村昭 『羆嵐』

吉村昭の本を読むのはこれで2冊めです。

Kindleストアでおすすめされたので買いました。

 

これはかの有名な三毛別羆事件についてです。Wikipediaにすごく詳しく書かれているのでそれで何が起きたか知ることはできます。ただ、文学として昇華してるこの作品はすごく(表現が適切じゃないかもしれないけど)面白かったです。

 

羆嵐(新潮文庫)

羆嵐(新潮文庫)

 

 

貧しくも根をはって新たな土地で生きようという開拓民の決意と、それをあざ笑うかのような自然の荒々しさ、それを象徴する存在としての羆の激しさ、ものすごく深くてものすごく怖い、自らの手が及ばない世界について見せつけられた気がします。

 

まあ、最後は文明の利器でドスンなんですが、それでも使う人の中にある「自然」との対峙や目を背けられない「本能」みたいなものが最後にも待っていて、あまり救いはなかったように思います。

 

前回『破船』を読んだときも思いましたが、吉村昭は貧しい暮らしを描写するのがすごく生々しいですね。お尻がヒュッと寒いような、そんな寒々しさや開拓民の孤立さを感じます。

 

tamako99.hatenablog.com

 こっちは貧乏ゆえの無学無知がつらい。

 

 

近々、テレ東で『破獄』が放送されるようですし、次はあれを読んでみようかな。

 

anngleさんのコラム 第38回 『今年もソンクラーンがやってくる!』

最新記事、公開されています。

 

最近は日本でも水掛けイベントを真夏にやったりしているので、水掛け祭りを楽しみに渡タイする人もいるかもしれませんね。ここ最近、バンコクは朝晩パラパラと雨が降るようなお天気が続いています。この時期、意外と夕方になると肌寒いこともあるので、水に濡れたら要注意ですよ。

 

anngle.org

anngleさんのコラム 第37回 『タイで日本語を学ぶひとたち』

最新記事公開になっています。

 

anngle.org

 

昨日も同僚から「お客さんや上司とのコミュニケーションをとるためにも会話のレッスンをしたいんだけど、誰か紹介して」と依頼されました。彼女は前職で日本語のレッスンを受けていたそうで簡単な会話ならできるのですが、年度が改まったらもっと会話のレッスンをしたい、と常々話していたのです。

 

会社で日本語のレッスンを開催しているところや、研修として日本に長期間送ることもありますし、趣味で独学してる人もいるし、本当に裾野が広いと日々感じています。日本のことを好きで、日本語を少しでも学びたい、と思ってくれる人がいるっていうのはありがたいですね。

 

なので、タイに来たら公共の場での会話にはお気をつけください…。

 

anngle.org

 

傷つく心と角膜

猫が怪我をした。

 

ある日、帰宅すると先住猫の目から大量の涙。目もきちんと開けていられない様子。キッチンの隅っこでじっとしていて出てこない。潜りこんで近くで見てみると、ビー玉のような目の中に血が滲んでる。猫の目は開いたり閉じたりする瞳孔の部分に、半球体のガラス玉みたいな部分がかぶさっている。その中で出血している。

 

すぐに獣医へと駆け込み、目の傷の具合を様々な角度から確認し、眼圧を測り、涙の量を確認し、血液検査をし、薬を塗り、抗生物質と抗炎症剤を注射して、目薬をもらって帰宅した。その日は2時間おきに目薬をさしてくれ、との指示があったのでほとんど寝られず。

 

翌日、再度獣医を訪問すると、出血は止まって眼圧も改善しているとの言葉。それからは感染症を予防するために抗炎症剤や抗生物質を飲ませ、瞳孔が固まってしまわないように(?)開く薬を点眼する、というのが続いている。

 

大晦日にやってきた新人猫はまだまだ小さく、遊びたい盛り。一方、先住猫は既に8歳と老年に差し掛かりつつある。元々気性がおとなしく、一人でのんびりしたいタイプには遊び盛りの雄猫との同居はストレスも多いはず。だからこそ色々と配慮していたのだが、まさか怪我をすることになるとは。

 

こんなことになったのは私の見通しの甘さもあるので、心が痛い…。先住猫にはただでさえ我慢を強いることが多く、申し訳ないと思っていたのに…と自責の念にかられつづけている。

 

ここのところ精神的に色々と削られることが続いていたぶん、家族が拠り所だったのに、まさか家の中でこんなことが起きるとは。

 

失明するようなことにはなりませんように。。。と思いながら、毎日点眼投薬とできることを続けている。

 

でも、なかなか薬飲んでくれないんだよね…。

 

 

anngleさんのコラム 第36回 『トゥクトゥクの現在』

最新記事公開になりました。

バンコク観光の象徴ともいえるトゥクトゥクですが、両親が来たときに父が「トゥクトゥクに乗りたい」って言い出したんです。「いやー、父も案外ミーハーだわー」と思っていたら、

 

「子供の頃に走ってたオート三輪が懐かしくて」

 

タイのトゥクトゥクは日本からODAで出荷されたものが起源ともいいますし、そりゃノスタルジックにもなりますね。 ってことで、父と一緒にトゥクトゥクに乗ったんですけど、とってもとっても嬉しそうでした。「バンコクは30年前の日本みたい」という人は、こういう思い出が背景にあるんでしょうね(父の場合は60年位前の記憶ですけど)

 

そんなバンコクトゥクトゥクのお話です。

 

anngle.org

 

お題 『おばあちゃんの思い出』

 お題「おばあちゃんの思い出」

 

物心ついたときには、母方の祖母のことは「おかあちゃん」、父方の祖母のことは「おばあちゃん」と呼びわけていた。理由はわからない。

 

母にそう呼ぶようにいわれていたのかと思っていたのだけれど、母に聞くと「気づいたらそうしていた」という。同居していた父方の祖母になんらかの配慮をした結果、子どもの頃の私が決めた呼び名なのだろう。

 

母方の祖母は穏やかでいつも微笑んでいる人だった。女学校も出ていて、読み書きも洋裁も和裁もお料理もなんでもできたけれど、家族の世話をして暮らすことが彼女の大きなミッションだった。結婚後に婚家から呼び戻され、弟や妹の結婚相手を探して住むところを用意し、家や不動産のメンテナンス、地元の神社のお世話や、お寺の檀家総代なんかも努めていた。3ヶ月に1回くらいの頻度で兄弟が集うときはお酒やジュースを酒屋に頼んでケースで買い、煮物や赤飯などを20人分くらい用意して、子どもたち(祖母からみた甥・姪。10人くらいいる)のためにお菓子も用意して、帰るときはお土産まで持たせてくれた。私も鰹節を削るお手伝いをしたけれど、あれだけの人数の食事を準備するだけでも大変だったと思う。

 

遊びに行くと、カートをひきながら買い出しに行くのについていった。なんてことない日常の一コマだけれど、今もその道を思い浮かべられる。魚屋さんに顔をだし(今思うと、あれは私の顔を魚屋さんに見せたかったのだろう)、八百屋で野菜を、スーパーでお菓子を買ってくれた。ときには眠くなった私の手をひいて励ましながら歩いてくれた。その道の途中にクロロフィルの看板をかかげた家があったのも覚えている。

 

祖母には色々なところに連れて行ってもらったが、多摩川園遊園地に祖母と曽祖父と三人で菊人形を見に行ったことがあった。ポカポカと温かい日だったと記憶している。記憶の中の菊人形はとても大きく、菊の花の上に白塗りの顔と髷をゆった頭が乗ってるのはおかしくて「よくこんなもん考えたなぁ」と思っていたけれど、その横で品評会に出ていた鉢植えの菊はどれも立派で、土いじりの好きな曽祖父は一鉢一鉢じっくり見つめていた。

 

途中で私が退屈していることに気づいた祖母が、乗り物にのせてくれた。長いブランコ状の乗り物で、ぐるぐる回るなるやつだ。たぶんブランコに似てるから、と思って乗せてくれたのだろう。しかし乗り物が動き始めて足が地面から遠く離れ、遠心力で身体が外側にふれるようになって怖くて仕方なくなった。このまま落ちたらどうしよう、と思った。鉄の棒一本しか頼れるものはない、ということが怖かった。遊具の向こうで祖母と曽祖父が笑っていた。彼らに私が怖いと思っていることを知らせてはいけない、と思って手をふったり笑ったりした。何周回ったかわからない。乗り物を降りて祖母のもとに戻ったときには、笑顔で「楽しかった」といった。祖母はいつものように穏やかに微笑んでいた。

 

祖母は亡くなる前日も、同じようなおだやかな笑顔で私の訪問を喜んでくれた。小さくなった祖母は長くないだろうな、と思わせるに十分だったけれど、あのおだやかな笑顔は私のあこがれであり続けている。